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2010年04月27日


文明と自然環境の共存の限界

Fire Earth にエイヤフィヤトラヨークトルの爆発は壊滅的なイベントの連続の前兆というような記事があり、そこにはその理由として、

・最近の世界的な昔の火山の活動開始の復活と時期が一致している。

・これまでエイヤフィヤトラヨークトルの噴火はカトラ火山などの噴火と連動している。


などが書かれていて、さらに、

・ 火山噴火は、自然の防衛機能だ。

というような部分がありました。

この自然の防衛機能 ( Nature’s Defense Mechanisms ) というのは、Fire Earth の過去の記事によると、難解に書かれていてよくわからないですが、彼らが言いたいこととしては、多分、「繰り返し起きる環境変化や自然災害などにより、それらの一連の大きな出来事が終わった後には、それまでとはまったく違う自然環境が地球に生まれている。」というようなことのようです。

しかし、自然の防衛機能という言い方は曖昧な感じで、一体、自然は「何から自分たちを守ろうとしているのか」ということに関しては、どうやら、 Fire Earth では、それが「人間の文明」と言いたいようです。つまり、「自然は今後、人間の文明を破壊することによって、自分たちの自然環境を守ろうとしている」ということらしいです。

なるほどねえ、と、何となく納得しつつも、まあ、納得している場合でもないのかなと思ったりと、気持ちは様々ですが、でも、このブログにもたまにふれるようなこともありましたが、いろいろな意味で私もこうは思っています。

「人間の文明と自然の協調はそろそろ限界にきている」と。


これは今の人間の行いが悪いとか、そういう単純で情緒的な問題ではなく(「だから、環境を守りましょうね」というような単純な話ではないということです)、これは、産業革命から発展していく中で、その方向性を一度も変えなかった現在の「搾取型の文明」の宿命だと思います。

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エイヤフィヤトラヨークトルの噴火の写真サイトより。


生活は快適なほうが確かに誰でも嬉しいと思います。

なので、快適を求めて、人類は一生懸命いろいろと発展させてきたわけですが、しかし、その方向は産業革命以降、一貫して、「自然からの搾取」という一点に凝縮していて、石油にしろ水にしろ、農地にしろ肥料にしろ、肉や魚にしろ、還元はほとんどなく、ひたすら搾取するだけだったことに気づきます。このタイプの文明が今後も続いていくとするなら、それでも地球は未来永劫大丈夫、と考えるのは少し無理な考え方で、やはり、必然的に、資源も食べ物もいつかはなくなります。

確かにそうなってくると、「地球も自分を守りたくなるかもなあ」と。
単にその時期が来たのかなという気はします。

自分の周囲、つまり、私は日本に住んでいますので、日本の様々な場所での生活や文明を見てみても、今の生活基盤の方向を少し変えた程度では、現在の「搾取型」の環境の問題を軌道修正できるとは思えないです。

実際、たとえば、今の私が、電気も下水道もティッシュも石けんもガス台も小麦粉もない生活ができるかというと、多分できないと思います。でも、そういう時は、今後いつかは来るわけで、それは世界の多くの人が次第に考えていかないといけないことなのかもしれません。

とはいえ、生活インフラの軌道修正(エネルギーの獲得方法を今と違う方法にする)なんてことがすぐできるわけもなく、小手先の対処では、もうどうにもならないかもしれないですね。

なので、 Fire Earth の言うように、本当に自然が防御システムとして(人類の文明を停止させるために)噴火や災害を繰り返しているかどうかはわかりませんが、自然がやらなくても人間は自滅するのかもしれないという気はします。人間自身も地球のリソース(資源)のひとつですから、地球の資源として、地球を守るために自発的に消えていくことはあり得るかなと。

暗い話でしたが、わりと最近思っていることです。






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