▲ 1346年から 1350年まで続いたペストのパンデミックの感染国。青で示された部分です。2014年10月10日のデイリーメール より。
エボラ出血熱での死者が 10月 10日の WHO の発表で、4000人を突破したことが報じられています。
エボラ熱、死者4000人超え 先進国にも不安広がる
日本経済新聞 2014.10.11
世界保健機関(WHO)は10日、西アフリカで感染が拡大しているエボラ出血熱の死者が8日までの集計で4033人にのぼったと発表した。特にリベリアで増加に歯止めがかからず、全体では1カ月強で倍増した。感染者数は疑いのある人も含め8399人。米国やスペインでも感染者や死者が出たのを受け、先進国にも不安が広がっている。
上の記事で、「増加に歯止めがかからず」と記されているリベリアでは、現在、WHO の集計の数の冒頭に「≥」という不等号の記号が付記されています。
・Ebola virus epidemic in West Africa
これは、たとえば、10月 10日の時点で、リベリアのエボラでの死亡者は「 2316人」となっていますが、数字の前に「≥」がつくことによって、この数字を含めて、これ以上というような意味になると思われ、患者数の正確な把握ができなくなってきている状況が伺えます。
エボラのことは、今いろいろな国でいろいろなことが起き始めていて、それらを調べているところですが、このような時期に英国デイリーメールが興味深い図を掲載していました。
それは「541年のペストの世界的流行から、2014年のエボラの大流行までの世界の大規模感染症の流行とパンデミックの歴史」の分布図です。
冒頭に載せた図もその中のひとつです。
こういうものを、まとめて見たことがなかったですので、興味深かったです。
その中から全部は無理ですが、いくつかを2回にわけて掲載したいと思います。
すべて見たい方は、 デイリーメールの、
・The world's deadliest outbreaks: Interactive map shows the human cost of flu, bubonic plague and Ebola globally since 541
(世界最悪の流行の数々:インタラクティブ・マップは、541年以来の世界的なインフルエンザや腺ペスト、エボラの人的な犠牲を示す )
をご覧下さい。
それでは、ここからです。
541年から 542年に発生した腺ペストのパンデミック
この 541年のペストの大流行に関しては、 In Deep の
・西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録
2012年09月20日
という記事に、当時の東ローマ帝国で聖人伝を記す人物として名高いヨーアンネースという人が、詳細な記録を残していて、そのことについて記しています。
詳しくは上の記事をお読みいただければ幸いですが、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のトルコの都市イスタンブール)の 541年の状況は、
天罰がこの都に重くのしかかった。まず襲われたのは路上に横たわっていた貧者たちだった。一日のうちにこの世を去っていった人数は、五千人から七千人、さらには一万二千人、そして、ついには一万六千人にのぼった。
だがこれはまだほんの序の口だった。役人たちは各港や十字路、そして市門の入口に立って、死人の数を数えていた。コンスタンティノープル市民で生き残っている人はごく少数になった。
死者数は確かに数え上げられていたが、路上から運び去られた遺体が三十万を上回ったことは間違いない。役人は二十三万人まで数えたところで足し算を止めてしまい、それ以降はもう『大勢だ』と言うだけになった。こうして、その後の遺体は、数えられることもなく持ち去られたのである。
というようなものだったようです。
「途中で犠牲者のカウントをやめてしまう」というあたりは、現在のリベリアとも似たような部分も感じないではありません。
1816年から 1826年まで続いた最初のコレラのパンデミック
このコレラのパンデミックは、上の地図を見ると、日本も含まれていますね。
ちなみに、このパンデミックが始まった 1816年というのは、「夏のない年」と言われた冷夏で、夏のない年 - Wikipedia によりますと、
夏のない年は、北ヨーロッパ、アメリカ合衆国北東部およびカナダ東部において夏の異常気象(冷夏)により農作物が壊滅的な被害を受けた1816年を指す。
という年で、その他にも、
清(中国)においては特に北部で、寒さのために木々が枯れ、稲作や水牛も被害を受けた。残りの多くの農作物についても洪水によって壊滅した。
とあり、また、インドなどでも、
ムガル帝国(インド)においては、夏の季節風の遅れにより季節外れの激しい雨に見舞われ、コレラが蔓延した。
という夏でした。
コレラは次に、1829年から 1851年まで世界的なパンデミックを起こします。その時には、上の1回目の時には流行しなかった北アメリカの全域でもコレラが蔓延します。
1889年から 1890年まで続いた鳥インフルエンザのパンデミック
これは、世界をめぐるインフルエンザという記事によりますと、
1889〜90年の「ロシアかぜ」は、トルキスタンにまず現れ、ヨーロッパ全域に拡大して20〜25万人が死亡した。世紀の変わり目の18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパ全土でニワトリや七面鳥などの家禽の大量死が発生、養鶏業に大きな被害を与えた。
当時、中世のペストになぞらえて「家禽ペスト」と呼ばれていた。これがきたるべきインフルエンザ・パンデミックの先駆けになった。
というもので、どうやら記録が残る歴史の上では、「インフルエンザの最初のパンデミック」だったようです。
この続きは、次回の記事に記します。
そこには、上の「ロシア風邪」とよばれた 1889年のパンデミックがさらに強大となって人類を襲った鳥インフルエンザのパンデミックである 1918年のスペイン風邪も含まれます。
スペイン風邪は、過去 100年の人類史の大量死の中でも際だった死者(推定死者数は、4000万 〜 6000万人)を出した出来事でした。
そして、このようなリスクは人類にはいつもふりかかる可能性があります。たとえば、エボラも現状では、前回記事の、
・もしエボラが米国に蔓延した場合、治療費は? 米国ダラスで死亡したエボラ患者の治療費は「1時間に約 10万円」で、総額では5千万円を越えていた
2014年10月09日
にあるような大層な治療法しか存在しないとすれば、蔓延してしまった場合、病院の治療というのは現状ではあまり現実的ではなく、むしろ自己回復力に望みを託す他ないという部分もありそうです。
報道では、しばしば「エボラに効果がある薬やワクチン」の話題が出ては消えていきますけれど、治療薬の開発がどのようになっているのかの現状もわかりません。